エロス断想

猫と美人を描いてゐます

或阿呆の一生

ひねもす曇天、風あり。
40分ジョギング。新しいスニーカーで走る。サイズ28㎝! 通常は27〜27.5㎝なのだが、安かったので。幸ひ靴ずれにはならず。
臆病猫どもに缶フードやる。カラスが狙ってゐる間、見張らねばならぬ。


芥川龍之介(1892-1927)「或阿呆の一生」他、拾ひ読み。繰り返し詩人を自称してゐるのが興味深い。小学生から高校生の頃まで、芥川にハマッてゐた。それも、小説よりも「侏儒の言葉」「西方の人」「或阿呆の一生」のやうなアフォリズムの方を好んだ。ナマイキなガキだ。芥川の俳句に対する理解と警句は素晴らしい。
彼は襖側に佇んだまま、白い手術着を着た産婆が一人、赤児を洗ふのを見下してゐた。赤児は石鹸の目にしみる度にいぢらしい顰め顔を繰り返した。のみならず高い声に啼きつづけた。彼は何か鼠の仔に近い赤児の匂を感じながら、しみじみかう思はずにはゐられなかった。・・・「何の為にこいつも生まれて来たのだらう? この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。・・・何の為に又こいつも己のやうなものを父にする運命を荷ったのだらう? しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だった。


善きことをなす。ここに書くほどのことではない。



■三州生桑HP■
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