エロス断想

猫と美人を描いてゐます

サンキュー、ジーヴス

晴れ時々曇り
15分ほど泳ぐ。園児だらけ。公共のプールで水泳教室を開くのは如何なものか。女3男2でグループデートしてゐるのを見る。何と、男たちは泳げないのだ。何故にカナヅチなのにプールでデートなんか・・・? 思ふに、ガールフレンドの水着姿を見たかったのだらうね。プールサイドで、ちょっとトキメクことがあったけど、ヒ・ミ・ツ


猫公園にて、空き缶を拾はうと茂みに分け入ったら、尖った枝先でふくらはぎをスパッと切って出血。これで、破傷風か何かで死んだら、まことにバカ詩人にふさはしい終焉である。ちなみに、詳細な破傷風の症状について知りたければ、長塚節(ナガツカタカシ)「土」を読むべし。漱石も褒めてます


P・Gウッドハウス「サンキュー・ジーヴス」読了
ジーヴスものは6、7冊読んだが、この作品が最高傑作。すばらしいスラップスティック。ただ、最初から順番に読まないと分からないネタがあります。誤解を恐れずに言へば、これはゲイ小説ですね
彼女はこれまでにも増して美しく見えた。とりわけ彼女の二つの瞳は光輝く星のやうに燦然ときらめいてゐた。それでもなほ僕には、全てがうまくいったあかつきに彼女と結婚するのが僕ではなく、チャッフィーで良かったとの見解を変更する気は毛頭起こらなかった。不思議である。女の子といふものは完全に人をノックアウトさせるごとくありながら、また同時に人をして、彼女と結婚するのはまったく願ひ下げだと感じさせると、さういふふうであり得るといふことがである。人生とはそんなものだ、と、僕は思ふ。


小林秀雄「無常といふ事」を拾ひ読みして想ふ
死人と歴史について。歴史とは解釈に過ぎないのではないか。たとへば、上杉謙信の行動は彼本人にしか解らない。なにゆゑにそのやうな行動をとったのか、後人は膨大なデータをもとに推測するだけだ。「その時、謙信はかう思った・・・」などと小説家はもっともらしく書くけれども、これとても憶測、私見の域を出ない。歴史とはデータの帰納的な一解釈だ。ゆゑに歴史観といふものは、国それぞれ、人それぞれで違ってゐて当然なのだ。唯一絶対の歴史なんてものはない


Oさんが現Fを退会されたやうす。良い詩を書いてたんだけどなぁ・・・非常に残念。ホントにガッカリ。可愛らしく、魅力的な人だったのだけれど・・・


相談受ける。正直に言ふと、もう聞きたくない。彼の奥さんは、間違ひなく、私の一番嫌ひなタイプの女性だ。別れた男とズルズルと連絡をとってゐるとは!? 私はのほほーんとしてゐるが、かういふのが一番イヤだ。信用できない。生理的に受け付けない。2年も同棲してて気付かなかったのだらうか。こんな女に引っ掛かったら、誰も幸せにはならない。ふざけてる! 不幸が伝染しさうだ。友よ、もう知らん




知人が再婚す。「女は可愛いだけぢゃアカン」とのこと。再婚後、無言電話がかかってくるやうになったらしい
私が最低限望むのは・・・私の書いた詩文を読んでほしい。そして私の存在を認めてほしい。(無視しないでほしい)でないと、私の存在理由が無くなるから。








■三州生桑HP■
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