エロス断想

猫と美人を描いてゐます

春の守宮

終日曇天、日中風強し

台所の窓ガラスに守宮(ヤモリ)がヘバりついてゐた。ヤモリは夏の季語なり。暖かくなってきたといふことだらう

縫ミチヨさんの詩集『青春文法』を読み、今の私のアタマでは抽象的な散文詩は読解できないと、つらつら思った
どうやら、私の脳にはチャンネルがあるらしく、詩を読み書きしてゐる時は小説が読めなくなったりする
音楽を聴きながら読書はできないし、音楽がないと集中して絵が描けない…脳の不思議
今は、小説は鏡花だけを読む。鏡花なんて、学生の頃は一ページも読めなかったのに、なぜかスラスラ読める…つまり、脳のチャンネルが鏡花モードになってゐるわけだ

また、詩を読めないばかりか、書けなくもなってゐるのは、モチーフを失ったからだらう。「芸術は運命である。一度モチーフに絡まれたが最後、捨てようにも捨てられないのである」と、かの子は言った。中也のモチーフは「郷愁」、有元のマチエール、三島の「死とエロス」、谷崎の「マゾヒスト」…モチーフの無い芸術家はゐない。私は「美しい人」と「猫」だ。以前は「薔薇」も重要なモチーフだったが、薔薇に幻滅してからは、プツッと詩が書けなくなった
そして今日、私の脳は詩人モードから画家モードに完全に切り替はり、来る日も来る日も「美人」と「猫」を描いてゐるわけです

美人画、黄色の画用紙、鉛筆、赤鉛筆、70分



『三州生桑詩画集猫のパンセ』
■三州生桑HP■