エロス断想

猫と美人を描いてゐます

コクトー日和

きのふは立冬だったのですね
歳時記も冬のに更へなくてはなりません


ジャン・コクトー恐るべき子供たち」読了
佐藤朔訳
学生時代に一度読んだが、その当時は、悪魔的に早熟な子供たちの悲劇といふ解釈しかできなかった
この系譜の小説には、谷崎潤一郎の「小さな王国」、三島由紀夫の「午後の曳航」、アゴタ・クリストフの「悪童日記」などがあり、コクトーの「恐るべき子供たち」もそれに入ると思ってゐたのだ
しかし、今回読んでみて、感を新たにした
この小品は、フランス文学史に綿々と続く伝統的な、恋愛心理小説の傑作である
注意深く、近親相姦(姉と弟)といふ概念の表現を避けてはゐるものの、これはまぎれもなく、極度に洗練された恋愛小説だ
サガンの「悲しみよこんにちは」の父と娘の関係を彷彿とさせる
さうして、詩人が書いた小説だなぁと思はせる、詩的なレトリックがちりばめられてゐる
§
以下抜粋
「美の特権は測り知れない。美はそれを認めたがらない人々をさへ、服従させる」
「車は大空を走り続けた。星どもとすれちがった。星の輝きは、さっと突風に吹きつけられて、曇りガラスのなかまで滲み込んだ」
「混乱しながら急ぎ足で美に向ってゐるといった恰好」
「あんた、出掛けたのね(姉弟の間の隠語で、出掛けたとは夢想によってもたらされた状態を意味してゐた)」
「目まひがするやうな吐き気が、砂糖菓子の味気ないむかつきに変った。恐るべき子供たちは無秩序を、感覚の汚らしいごった煮を、腹に詰め込んでしまった」
エリザベートがミカエルの妻になったのは、財産のためでも、力のためでも、優雅さのためでもなく、魅力のためでもなかった。彼の死のために、妻となったのだ」
「ポールは、運命がいかに悠然と武器を選んで、照準を定め、心臓を見つけるものかを思ひ知った」
§
ときめきの無い日がつづく
私は美しい人が好き
本を読む女性が好き
そして、尊敬できる人でなきゃね


詩人のYさんが、道端の空き缶を拾ってゐるらしい
さすが、私の詩友なり
汚れた指先は、洗へばよいのです
空き缶をポイ捨てする人の心の汚れは、なかなか洗ひ落せません


「エロス」といふ単語を検索して、この日記にたどりつく方が結構いらっしゃるやうす
ご期待にそへず、申しわけない
私は、シモネタが大嫌ひなのでね
「エロス断想」の「エロス」は「性」ではなく、「愛」といふ意味なのです


「野良猫は可愛がってくれる人の家の庭には糞をしない」


■三州生桑HP■
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