エロス断想

猫と美人を描いてゐます

サンダカン

快晴のち雷雨


山崎朋子『サンダカン八番娼館』流し読み。戦前の日本から娼婦として南方に売られた十歳にも満たない少女たち(からゆきさん)の過酷な人生を聞き取ったドキュメンタリー…だが、その部分は流し読み。読んでてつらくなるから

どの時代、どこの国でも売春の悲惨な実情は同じだ。映画『スラムドッグ$ミリオネア』を観ても分かるやうに、大人たちに搾取される少年少女は跡を絶たない…そこに貧困がある限り

女性史の研究書としては物足りない面がある。分厚い本なのに、まともに聞き取り調査できたのはたった一人…。それに、著者の取材方法にも問題がある。取材相手の隙を見てアルバムから写真をはがして盗むなど言語道断。にも関はらず、この本はベストセラーとなり、映画にもなった。30年以上前に出された本だが、私もタイトルだけは知ってゐたし、2007年に出た文庫版も版を重ねてゐるやうだ

この本が読み継がれてきたのは、ひとへに、この本の主人公であるおサキ婆さんの魅力に尽きるだらう。村人からほとんど相手にされず、息子からの仕送りは月に四千円の極貧生活…水道も台所も便所も風呂もなく、己の食べるものにも事欠くといふのに、九匹の野良猫の面倒を見てゐる。一日に何十人も客をとらされるやうな地獄を見てきたのに、とても優しく、文盲でありながら、本質的にとても頭のよい人で、品格もある
一方、外見はまともで、普通に仕事をしてゐても、下品な人はいくらでもゐるといふのに…人間って不思議

全く面識のない著者は、息子ですら上がらない腐った畳の上で、おサキさんと三週間生活を共にし、次第に打ち解けて、実の親子のやうに心を通はせてゆく…その過程は宮本常一のフィールドワークのやうに文学的で感動的だ。この部分だけでも読む価値はある
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わたしとしては、この三週間のあひだ食費すら出してゐないのだから、せめてそれだけは受け取ってもらはなければ気持がすまない。長い押し問答の末、おサキさんは、「それでは、おまへの食うた分だけ貰うとく…」と言ってやうやく二千円だけを取ったが、それ以上はつひに受け取ってくれなかった。…「銭も貰うたが、もうひとつ、おまへから貰ひたいものがあるとぢゃが…」…「東京へ帰ればほかにも手拭ひば持っとるなら、おまへの今使うとるその手拭ひば、うちにくれんか」…天草に暮らしたこの三週間毎日使ってゐたタオル、昨夜おサキさんがわたしの涙をやさしく拭ってくれたあのタオルを、彼女は両手を差しのべて受け取ると、「ありがたうよ、この手拭ひを使ふたびに、おまへのことを思ひ出せるけん」と言ひ、うれしさうな、しかしどこやら淋しげなほほゑみを浮かべたのである。
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眠りこける猫、鉛筆、10分

美人図、鉛筆、40分、トレース





『三州生桑詩画集猫のパンセ』
■三州生桑HP■