エロス断想

猫と美人を描いてゐます

虚子五句集

朝霞、好天。今日も暖かだったが、明日の予想最高気温は19℃とか。三寒四温なり
胸が痛む・・・し、心臓が?


高浜虚子(1874-1959)「虚子五句集」流し読み。以前から虚子の句は、私の詩心の琴線に触れないと思ってゐたのだが、これほどとは・・・。思ふに、虚子といふ人は、その一生を汲々としてホトトギスに捧げた、言はばプロデューサー的な存在だったのではないか。俳人といふより、論難の得手な選者として優れてゐたのだらう
まづは、佳句を抜粋
「稚児の手の墨ぞ涼しき松の寺」
「酒旗高し高野の麓鮎の里」
「駒の鼻ふくれて動く泉かな」
「金亀子擲つ闇の深さかな」
「闇汁の杓子を逃げしものや何」
「流れ行く大根の葉の早さかな」
つづいて駄句。枚挙にいとまなし。俳句の体をなしてゐないものも多い
「大根を水くしゃくしゃにして洗ふ」
「口あけて腹の底まで初笑」
「過ちは過ちとして爽やかに」
「兎も角も落着き居れば暑からず」
「ひたすらに祖先の墓を拝みけり」
秋天にわれがぐんぐんぐんぐんと」
「食ひかけの林檎をハンドバッグに入れ」
・・・ホトトギス派の俳人は、この「虚子五句集」を聖書として崇めてゐるのだらうか? だとすれば、それはもうファンダメンタリズム



月の逆位置「誤解が解ける 不安解消 少しづつ状況好転 迷いがとける ゆっくりと待つ」



■三州生桑HP■
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