エロス断想

猫と美人を描いてゐます

草枕

快晴、小春日和なり
月すこぶる佳し、銀盤の如し


夏目漱石草枕」流し読み。漱石は、この小説を書く前に「楚辞」を読んださうです。通りで難しい漢語がたくさん出てくるはず・・・分からない漢字は飛ばして読んでも、面白い小説です
成程いくら詩人が幸福でも、あの雲雀の様に思ひ切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌ふ訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云ふ字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあらうが、無量の悲も多からう。そんならば詩人になるのも考へ物だ。



ところで、横溝正史の「獄門島」には、この「草枕」との類似点が多々見られる。両篇とも俳句がキーワードになってゐて、主人公がフラリと旧家に逗留するシチュエーションも似てゐる。登場する僧侶の名が、「草枕」では了念、「獄門島」では了然、読みも同じリョーネン。漱石へのオマージュだらうか
以下は、主人公と江戸っ子の散髪屋の、ヒゲを剃る時の掛け合ひ。
草枕
「おい、もう少し石鹸を塗けて呉れないか。痛くって、いけない」「痛うがすかい」
『獄門島
「もう少しお手柔らかに願ひたいね。さうゴシゴシとこすられると痛くてたまらない・・・」「へえ、痛うがすか、これで・・・?」「痛うがすかぢゃないよ。もう少し石鹸をはずんでおくれよ」



「アリとキリギリス」について思ふこと
ひょっとしたら、キリギリスは死ぬほどのつらい思ひをして、バイオリンの修行に励んできたのではなからうか? ちゃらんぽらんな快楽主義者ではなく、ストイックな芸術至上主義者ではなかったか。世の中の人間が全てアリになってはつまらない、或いは、優れた芸術家は生きてゐる間には中々認められないことを訴へた寓話なのではないか



■三州生桑HP■
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