エロス断想

猫と美人を描いてゐます

養老節

曇天、雨降らず
某公園にてノラたちにオヤツをやってたら、ほんの10分ほどの間に2台も車がやってきて、私と同様、猫にオヤツをやり始めた。こんな辺鄙なところまで、野良猫にエサをやるためだけに車でわざわざ来るとは・・・変人なり。私のことか


養老孟司「小説を読みながら考へた」流し読み。「小説推理」に連載された書評集だが、読んでるのはファンタジーばっかり。しかも、連載が進むにつれ本を読まなくなり、後半は養老節のエッセイ集になってゆく・・・。養老先生だから許されるのだな。そして私が読むのはそのエッセイ部分だけ
理科系からすれば、文学者は主張の塊り、つまり偏見の塊りなのである。なぜなら、文学が成り立つためには「主観性」が必要で、理科とはそれを取り除いたところに成立する作業だからである。その文学を「批評」するなら、どうすればいいのか。主観的に批評すればいいのか、客観的に批評すればいいのか。当り前みたいだが、そこに文学批評の根本問題がある。


恋の究極の目的は、優れた遺伝子を残すことか?
ならば「心中」も「ゲイ」もナンセンスになってしまふ
ひと目惚れとは・・・千載一遇のフェロモンに出会ってしまったといふことか。何万分の一、何百万分の一の組み合はせ?
そこに理由なんてない
地位とか、名誉とか、外見とか、年齢とか、給与明細とか、乗ってる車とかは無関係か
恋の恐ろしさ
フェロモン、遺伝子の恐ろしさ



■三州生桑HP■
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