エロス断想

猫と美人を描いてゐます

毒にも薬にもなる話

曇りのち快晴。これからは、ひと雨ごとに暑くなる


「近世滑稽俳句大全」流し読み。ひとつ疑問あり。「梅雨」を詠んだ句が一句もない。ただ一句、『入梅穴は竜の都の径かな』があるのみ。難解。芭蕉も「梅雨」は詠んでゐないか。基本的に「梅雨」と「五月雨」は同じ意味である。「梅雨」は比較的新しい季語なのだらうか。


養老孟司「毒にも薬にもなる話」拾ひ読み。十年前の社会時評。過去の時事評論って普通は顧みられないけれど、養老先生クラスになると文庫化されるのですねぇ。
自然から離れ、都市に住むことによって、人は安全と幸福を手にする。しかしそれは、当然ある代価なしには済まない。脳化社会には、ある危ふさが本来存在する。脳化社会に育った人間は、まさに羊に変はる。「当為」すなはち「かくあるべし」は、脳化社会にしか通用しない。たとへば自然に対して「当為」を説いてもムダである。しかし、脳化社会に育つ人は、しばしばその感覚を失ふ。だから約束ごとを失った社会では、彼らは自分がどう行動したらいいのか、まったくわからなくなるのである。


たとへば、或る朝・・・ケータイは通じず、車は動かず、電気も水道も使へなくなってゐたら・・・我々は呆然とせざるを得ないでせうね。おまけに銀行口座のデータがパーになってたら面白い。それらは、まさに脳化社会にしか通用しない「ルール」にすぎないわけだ
都会に住むことによって払はねばならぬ代価・・・江東区のマンションで女性が殺害された事件を想起す。都会のマンションは快適だけれど、隣りにキチガヒが住んでることもあり得る。オートロックも防犯カメラも『キチガヒ=自然』の前には役に立たない


伝へたいこと
聞きたいこと


■三州生桑HP■
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