エロス断想

猫と美人を描いてゐます

西鶴諸国ばなし

快晴、のち薄曇り
新たに猫スポット発見! わらわらと10匹出てきた。キャットフード3缶、レトルト、カリカリをあっといふ間に平らげる。ガツガツ


井原西鶴(1642-1693)「西鶴諸国ばなし」流し読み。ひまつぶしの書。
「我筑前にありし時、さし荷ひの大蕪菜あり。又雲州の松江川に、横はば一尺弐寸づつの鮒あり。近江の長柄山より、九間ある山の芋ほり出せし事も有。竹が嶋の竹は、其まま手桶に切りぬ。熊野に、油壷を引く蟻あり。松前に、一里半つづきたるこんぶあり。つしまの嶋山に、髭一丈のばしたる老人あり。遠国を見ねば、合点ゆかぬものぞかし」


江戸時代初期の文学者に、芭蕉西鶴、巣林子(近松門左衛門)あり。それぞれ、詩、小説、戯曲をものせり。中でも、芭蕉の俳句は最も高度なレベルに達してゐる。西鶴の場合、好色五人女は神品だが、他の作品は存外くだらないものが多い。西鶴ゴーストライター説があるのもむべなるかな。
現代文学は、本屋に行って見ればすぐに分るが、小説至上主義。小説こそ文学そのものと思はれてゐる。これは、読み手の質が低くなってゐることの証左ではあるまいか。もともと『物語』は、『歌』の説明にすぎなかった。『詩』といふものを解説しなければ理解できない人のために、小説といふ冗長な表現が生れたのだ。
ちなみにノーベル文学賞受賞者百余人のうち、詩人、もしくは詩人でもある作家は四十人以上。残りが小説家と劇作家なり。



■三州生桑HP■
http://www.h4.dion.ne.jp/~utabook/