坂口安吾「肝臓先生」を読む
傑作なり
安吾を読むと、稲垣足穂の文体ですら普通に思へてくる
森茉莉に匹敵する奇妙な文体だが、それでゐて読みやすい
「セリフ」表現の難しさを思ふ
夏目漱石や太宰治のセリフは、現代でも十分に通用する普遍性を持ってゐる
川端康成や谷崎潤一郎のセリフは、少し色あせて見える
どうしやうもならないのが三島由紀夫のセリフだ
漱石や太宰の文学は、いはゆる庶民文学だ
本来の意味での階級が無くなってしまった現代では、彼らの小説のセリフ(口語文)は受け入れられやすい
川端や谷崎の世界は、芸術至上主義だ
ゆゑに、文壇や文学同人誌の影響力が薄れた今では、少し古臭く感じられる
三島の文学は非常に貴族的
貴族なんて、今ではどこにもゐやしない
だから、全てのセリフが空々しい
庶民を扱った小説、例へば「鏡子の家」を読んでも、庶民の言葉を自家薬籠中の物にできてゐない
坂口安吾の恐ろしさはそこにある
彼の文体は永遠だ
漱石と同じやうに
例へば、綿矢りさの文体は、10年たてばとても古臭くなるのではなからうか?
■三州生桑HP■
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