エロス断想

猫と美人を描いてゐます

トニオ・クレエゲル

トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎(さねよしはやを)訳を読了
マンが二十八歳の時の作
二十歳ぐらゐの時に読めば、もっと感動しただらうけれど・・・
今ひとつ、私の心の琴線には触れなかった
ちなみに、マンに心酔する北杜夫は、その筆名を、このトニオ・クレエゲルから付けた
「トニオ→杜二夫→杜夫」
以下抜粋
§
「芸術家といふものは、そもそも男でせうか。それは女にきくがいい」
「文学は決して天職でもなんでもない。それは呪ひなのですよ」
「しかし前科のない、無傷な、手堅い銀行家でゐながら小説を作る人・・・そんな人はあったためしがないのです」
「今まで僕は、悪魔や妖精や地獄の怪物や、認識でおしになった幽霊どもの中に・・・つまり文学者の中にしか、友達を持ったことがないのです」
「芸術で腕を試さうとする人生ほど、あはれむべき姿があるでせうか」
「世の中には凡庸性の法悦に対する憧憬を、ほかのいかなる憧憬よりも、さらに甘くさらに味はひ甲斐があるやうに感ずるほど、それほど深刻な、それほど本源的で運命的な芸術生活がある」
§
ジョギングの途中に、野良猫をマッサージしてゐたら、突然ひっかかれて出血
でも全然腹が立たない
ひきつづき、マッサージしてやると、申し訳なささうに「ニァ・・・」と一声鳴いた
「信頼関係とは、傷の上に成り立つものである」
或いは
「双方が傷付いた場合、強い方が耐へ忍ぶべきだ」
或いは
「野良猫ですら、人を傷付けたら申し訳なささうな顔をするものだ」
或いは
「私は傷付けられた! と叫んでゐる人は、往々にして自分も人を傷付けてゐることに気付かない」


■三州生桑HP■
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