エロス断想

猫と美人を描いてゐます

女心

今昔物語集 巻第三十
『平定文、本院の侍従に懸想せし語 第一』より抜粋


その家に侍従の君と云ふ若き女房ありけり。
形、有様めでたくて、心ばへをかしき宮仕人にてなむありける。
平中(へいぢゅう)、かの本院の大臣の御許に常に行き通ひければ、この侍従がめでたき有様を聞きて、年来(としごろ)えもいはず身にかへて懸想しけるを、侍従、消息の返事をだにせざりければ、平中、歎きわびて消息を書きて遣りたりけるに、
「ただ、見つとばかりの二文字をだに見せ給へ」
と、くり返し泣く泣くと云ふばかりに書きて遣りたりける。
使の返事を持ちてかへり来たりければ、平中、物に当りて出て会ひて、その返事を急ぎ取りて見ければ、我が消息に、
「見つとばかりの二文字をだに見せ給へ」
と書きて遣りたりつる、其の「見つ」と云ふ二文字を破りて、薄様に押し付けて遣(おこ)せたるなりけり。
平中これを見るに、いよいよ、ねたく、わびしき事限りなし。


芥川の小説「好色」のネタとなったお話しです。
平中とは、平定文のあだ名です。彼は三人兄弟の真ん中だったから。
プレイボーイの彼は、本院の大臣に仕へてゐる侍従の君に恋をし、何度も何度もラブレターを出すのですが、全くの無しのつぶて。
思ひあぐねた平中は、「私の恋文を読んでくれたなら、ただ【見た】とだけ書いて返事を下さい」と恋文に書くのですが、その返事は恐るべきものでした。
侍従の君は、平中の手紙に書かれてゐる、【見た】といふ部分を切り取って、薄い上品な和紙に貼り付けて寄こしたのです。
そら返事が来たぞと、あわてて物にぶつかりつつ家から転がり出たは良いけれど、喜んだのもつかの間。
返事がこれでは、平中先生、さぞかしがっくりしたことでせう。


私は、この段を読む度に、侍従の君の胸中を忖度しかねます。
彼女は何を考へて、かくもひどい仕打ちをしたのか?
そもそも、彼女は、平中のことをどう思ってゐたのか?

平中のことが憎かった?
言葉を交はしたことすらないのに?

以前に恋愛でひどい目に会ったから?
仏教に帰依してゐたとか。

或いは、平中の心をもてあそびたかったのか。


思ふに、侍従の君は、平中を独占したかったのではないか。
平中は、名うてのプレイボーイです。
関係を結んでしまへば、遅かれ早かれ飽きられ、捨てられてしまふことが、彼女には良く分かってゐた。
恋文の返事を出さず、平中を焦らし続けてゐる間は、彼の恋心は変はらない。

結局、平中は恋に病んで、死んでしまひます。
侍従の君は、平中の死の知らせを聞いた時、そっと微笑んだのではないでせうか。
これで、あの方は永遠に私のものになったわ!

私には、その時の彼女の凄艶な微笑みが見えるやうな気がします。